|
伝統芸能見本市
谷珠美 「筝レクチャーコンサート」 公演迫る!!
(チケットは完売いたしました)
|
|
お正月になると、商店やレストランなどのBGMに筝(こと)の音楽が用いられていますが、多くの場合は、歌の部分はカットされたりしているので、筝曲(そうきょく)は、邦楽の中で器楽曲だけだと思っている人が多いのかも知れません。しかし、近世の筝曲は、《六段調》や《八段調》などの「段物(だんもの)」といわれている数曲を除き、本来は筝の弾き歌いによる歌曲のほうが多いのです。そこで、今回のレクチャーでは、江戸時代初期に八橋検校(けんぎょう)により創始されて以来、その後門人たちにより創作・伝承され、時代と共に変化を遂げた筝曲の歴史を谷先生にお話いただきながら演奏を交えて辿(たど)ることにしました。
筝の音と共に、弾き歌いによる歌曲=その美しい言葉の響きをお聴きください。 |
|
|
 |
筝は、奈良時代に中国(唐)より伝来し、雅楽の管弦楽の中で用いられたものを原型として継承されま
す。この雅楽の筝「楽(がく)筝(そう)」を原型として、筑紫(つくし)筝(ごと)、八橋流、生田流、山田
流と筝の音楽が発達し時代や流派によって変化するのにあわせて筝本体や柱(じ)、爪などの寸法、形状
、構造、素材などさまざまな改良が加えられ、今日、普及している筝(十三弦筝)として知られています。一般に、「筝」と「琴」の文字は混同しがちですが、基本的な違いは、「柱(じ)」という可動フレット によって調弦するのが「筝」、世にいうコトを指します。その他にも宮城道雄が考案した十七弦筝をはじめ、洋楽の要素の入った筝曲の革新的創作が多くなる
につれ高低両面へと多弦化の傾向が増大しています。(宮城道雄の八十弦筝、中能島欣一の十五弦筝、 初代宮下秀列の三十弦筝、野坂恵子の二十五弦筝など) |
|
|
◆筝曲のはじまり |
筝の音楽−筝曲は、八橋(やつはし)検校(けんぎょう)(1614−85)によりはじまります。《西洋音楽では、バロック時代》元々、雅楽(ががく)に用いられていた筝が独立して、歌謡の伴奏として用いられるようになり、室町時
代の末期、九州久留米の善導寺で賢(けん)順(じゅん)(15471636)という僧が筑紫(つくし)
流筝曲または、筑紫(つくし)筝(ごと)と呼ばれる筝曲の原型を創始しました。これが基礎となって八橋流(筑紫流筝曲の元祖賢順の門人、放水(ほうすい)から芸を学んだ八橋検校を開祖とする)や山田流(
生田流から派生した山田検校によって江戸時代に創始された)が本格的な筝曲を確立したといわれ、こ
れら八橋検校以降の筝曲を「俗筝(ぞくそう)」といいます。
八橋検校は、三味線の名手といわれ、その技術を筝に移し、筝組歌(筝伴奏の歌曲)十三曲と段物など
を作曲し、庶民の心に訴える新しい音楽を創造します。その後に彼の門人たちによって組歌(くみうた)
・段物が伝承され上方(関西)に止まらず、諸地方にも流行し発展していきます。そのうち一人が八橋
門下の北島検校の門人の生田検校(1656〜1769)で、のちに筝と三味線の合奏を加えた生田流
筝曲を創始します。筝曲と地歌(じうた)が合流し、筝の器楽的発達をさせた関西での生田流の繁栄に対
し、江戸でもこれを広めようと試みます。しかし、従来の筝曲が当時の江戸の人々の趣向に合わなかっ
たのか、生田流の長谷富検校の門下生、山田検校(1757〜1817)が、当時人気の河東節など江
戸浄瑠璃(じょうるり)を参考に、新しい《語りもの》的な筝主奏の歌曲を創作します。これが大いにう
け、江戸では山田流筝曲が台頭(たいとう)します。以降筝曲界では、地歌を基盤にした器楽的な筝曲を
伝承する関西の生田流、筝を伴奏に歌本位の筝曲を伝承する関東の山田流という二大流派の流れが明治 時代まで続くことになります。 |

八橋検校
(1614〜1685)
|
| |
|
|
|
◆筝曲の近世、そして近代〜現代 |
|
|

三曲合奏
(筝・三絃・胡弓) |
「筝曲」とは、文字どおり筝を主奏楽器とする音楽のことで、近世の「筝曲」は段物の数曲を除き、そのほとんどが筝が伴奏する弾き歌いの「歌曲」でした。
幕末になると近世に三味線音楽の地歌や江戸浄瑠璃と結びついて発展したものの、それらに束縛されない筝曲の原点たる八橋の時代に回帰しようとする《復古運動》が興ります。明治維新を迎え、政府は、これまで幕府の保護機関であった普化宗と当道制度の廃止と共にこれらに属する音楽家たちの中から、新時代に相応した新しい音楽運動がスタートします。その後、宮城道雄らを中心にした《日本音楽創作の運動》(伝統に基本を置きながらも、器楽性の高い楽曲や洋楽手法による創作活動)に発展し、邦楽の近代化に洋楽理論が取り入れられ楽曲形式や新楽器の創造が活発となります。
さらに大正から昭和三十年頃にかけては、洋楽のみならず東洋音楽的要素も摂取した中能島(なかのしま)欣一(きんいち)らなどが中心になって「新邦楽」運動を進めます。やがてこうした活動が洋楽系の作曲者たちも積極的に参加し、新時代の邦楽(現代邦楽)の萌芽に結びつきながら今日に至っています。 |
| |
|
|
このように「筝曲」は、江戸時代初期に八橋検校によって創始されて以来、当道(とうどう)という目に障害を持つ人達の組織に属する音楽家たちによって専門的に創作・伝承・教習がなされ、また、他の伝統音楽の種目に先んじて、その音楽家たちの鋭敏な感覚によって繊細な表現法や精緻な合奏法が追求されるなど、時代の流れのなかで常に新しい道を見出しながら高度な発展を遂げてきたという歴史があるといわれます。
以上、簡単ですが、筝曲の変遷などを基礎知識として頭に入れながら、谷先生のお話と演奏をお楽しみください。
|
|
お問合せ:桐生市市民文化会館 0277-40-1500
|